何かを5分間で発表して、フィードバックをもらうという体験をした。
拙さマックスだったが、発表し、コメントをいただいて交流が生まれるのはうれしかった。
「なんでもいいから発表する」というのは、あるようでなかったことだと思う。
たとえばエンジニア勉強会のLT(Lightening Talk)と呼ばれる発表は、特に規模が大きくなればなるほど、発表希望者も増えるし、となると内容提案による選別のプロセスが入らざるを得ない。
これは至極当然で、多くの人の時間を共有するほど、主催としては、その時間の質が高いほうが望ましいからだ。
発表は、聞き手にとっては離脱の自由がない、と感じやすいから(本来的には自由に離席してもよいけど)この配慮は意味がある。
しかし、これは副次的に発表内容の質が向上していく必要がある、という力学がはたらく。望ましい姿でもあるが、一方全く発表したことのない人にとってはよりハードルが高くなり、参加をためらう(人も出てくる)。
というか、まさしくぼくはそう感じている。
そんなことないよ、どんどんチャレンジしよう、と言っていただける方も多いのである。とてもありがたいことだ。
しかし、もしフォーマットとして最初から「なんでもいい」と明示されていれば、主催者も発表者も聞き手も、「なんでもいい」と合意形成がなされた場になるので、ハードルが下がる。
これは、とても価値がある取り組みに思える。
もちろん発表自体は、ぼくがやったように拙いものも割合としては増えてしまうけれど、大げさに言うと、経験を積んで発表者のこれからの人生が少しでも後押しされる、という未来投資の要素は、代替のできない価値を感じる。
ぼくが関わっているスタートアップウィークエンド(SW)のコンセプトにもこれは大いに通じる。
SWは失敗してナンボの場である。むしろ本質的には失敗しかない、と言えるかもしれない。起業のプロセスは、仮説検証という名の失敗の連続だ。逆に言うと失敗していないのは挑戦していないに同じである。どんなに計算してスマートにやろうとしても、予測不能な現実では、挑戦したら必ず失敗する。失敗を恐れたら始まらない。
後ろ指さされること恐れるのは、1つしかない正解を言わされる教室と、硬直して人間性を失った組織や企業の中だけで充分だ。だが悲しいかな、そういう場がとても多いし、ぼくも人生の多くの時間をそういう場で過ごしてきた。
挑戦し失敗した人を讃えて、またその経験を伝えてもらう場を設け、ゆくゆくはそれが当たり前な環境が形成されるよう、SWの活動を続けたい。
また何よりも、自分が挑戦することが必要だと改めて思う。
感銘を受けた「リーダーシップの旅」という書がある。
ここの一節がすばらしい。
Lead the self.
Lead the people.
Lead the society.
社会を変えるようなリーダーになろうとするなら、まずは自分自身にリーダーシップを発揮すること。
挑戦する姿を見て、赤の他人だった人が、同志や支援者となってくれる。
その先に初めて、社会が変わっていく道がある。
この本を教えてくれたのは、任天堂前社長の岩田さんだ。
岩田さんの人生そのものが、まさしくこのリーダーシップの旅だったのだと、逝去されて少しだけ時間が経った今、そう思う。
ぼくは社会を変えていくリーダーになれるか、なりたいか、そういうことは正直分からないのだけど、まず自分をリードすることは必要というか、そうしたい。
まずは今は、Webサービスをひとつ、つくること。
そして、スタートアップウィークエンドのリードオーガナイザーとして、次の横浜のSWを「失敗を讃える場」となるよう、バトンをつなぐこと。
楽しんでやりたい。義務でも苦行でもなく、挑戦なのだから。
リーダーシップの旅 見えないものを見る
(光文社新書) 野田 智義 金井 壽宏
拙さマックスだったが、発表し、コメントをいただいて交流が生まれるのはうれしかった。
「なんでもいいから発表する」というのは、あるようでなかったことだと思う。
たとえばエンジニア勉強会のLT(Lightening Talk)と呼ばれる発表は、特に規模が大きくなればなるほど、発表希望者も増えるし、となると内容提案による選別のプロセスが入らざるを得ない。
これは至極当然で、多くの人の時間を共有するほど、主催としては、その時間の質が高いほうが望ましいからだ。
発表は、聞き手にとっては離脱の自由がない、と感じやすいから(本来的には自由に離席してもよいけど)この配慮は意味がある。
しかし、これは副次的に発表内容の質が向上していく必要がある、という力学がはたらく。望ましい姿でもあるが、一方全く発表したことのない人にとってはよりハードルが高くなり、参加をためらう(人も出てくる)。
というか、まさしくぼくはそう感じている。
そんなことないよ、どんどんチャレンジしよう、と言っていただける方も多いのである。とてもありがたいことだ。
しかし、もしフォーマットとして最初から「なんでもいい」と明示されていれば、主催者も発表者も聞き手も、「なんでもいい」と合意形成がなされた場になるので、ハードルが下がる。
これは、とても価値がある取り組みに思える。
もちろん発表自体は、ぼくがやったように拙いものも割合としては増えてしまうけれど、大げさに言うと、経験を積んで発表者のこれからの人生が少しでも後押しされる、という未来投資の要素は、代替のできない価値を感じる。
ぼくが関わっているスタートアップウィークエンド(SW)のコンセプトにもこれは大いに通じる。
SWは失敗してナンボの場である。むしろ本質的には失敗しかない、と言えるかもしれない。起業のプロセスは、仮説検証という名の失敗の連続だ。逆に言うと失敗していないのは挑戦していないに同じである。どんなに計算してスマートにやろうとしても、予測不能な現実では、挑戦したら必ず失敗する。失敗を恐れたら始まらない。
後ろ指さされること恐れるのは、1つしかない正解を言わされる教室と、硬直して人間性を失った組織や企業の中だけで充分だ。だが悲しいかな、そういう場がとても多いし、ぼくも人生の多くの時間をそういう場で過ごしてきた。
挑戦し失敗した人を讃えて、またその経験を伝えてもらう場を設け、ゆくゆくはそれが当たり前な環境が形成されるよう、SWの活動を続けたい。
また何よりも、自分が挑戦することが必要だと改めて思う。
感銘を受けた「リーダーシップの旅」という書がある。
ここの一節がすばらしい。
Lead the self.
Lead the people.
Lead the society.
社会を変えるようなリーダーになろうとするなら、まずは自分自身にリーダーシップを発揮すること。
挑戦する姿を見て、赤の他人だった人が、同志や支援者となってくれる。
その先に初めて、社会が変わっていく道がある。
この本を教えてくれたのは、任天堂前社長の岩田さんだ。
岩田さんの人生そのものが、まさしくこのリーダーシップの旅だったのだと、逝去されて少しだけ時間が経った今、そう思う。
ぼくは社会を変えていくリーダーになれるか、なりたいか、そういうことは正直分からないのだけど、まず自分をリードすることは必要というか、そうしたい。
まずは今は、Webサービスをひとつ、つくること。
そして、スタートアップウィークエンドのリードオーガナイザーとして、次の横浜のSWを「失敗を讃える場」となるよう、バトンをつなぐこと。
楽しんでやりたい。義務でも苦行でもなく、挑戦なのだから。
リーダーシップの旅 見えないものを見る
(光文社新書) 野田 智義 金井 壽宏