2020年6月7日日曜日

望まざる退去と、予定外の入居


この記事は、ブログリレー「 #新型コロナ時代のシェアハウス 」の7日目です。企画詳細は内田さんのブログをご覧ください。



ぼくが数ヶ月前に退去した都内のシェアハウス(運営形態的には正確にはルームシェア)も、COVID-19、新型コロナウイルスの流行によってダメージを受けた。
具体的にいうと、1つの部屋に住んでいた1世帯が、仕事がなくなって、ハウスを退去せざるを得なくなった。

※正確にはカップルで住んでいたので2人であり、世帯という用語も違うかもしれないが便宜的に世帯と呼称する。

2人をAくんとBさんと仮に呼ぼう。Aくんは海外から来た留学生であり、都内の日本語学校に通いながら、飲食店などでアルバイトをしていた。Bさんは日本人で、派遣で、デパートや事務所などでの仕事をしていた。
緊急事態宣言以後、Aくんの通っていた学校の授業はなくなった。そして、彼のアルバイト先もほとんどまともに営業ができなくなり、仕事がなくなった。つまるところは、収入がなくなった。
Bさんも派遣業としての仕事が減ったようだ(ちょっとBさんの事情は細かく聞いてないので推測が入ってる)。

その結果、世帯家賃+共益費、およそ8〜9万円を支払うことが、かなり厳しくなった。そもそも、Aくんの日本滞在目的である語学学校もまともに通えない中で、生活費の負担は重くのしかかった。

結果的に、ふたりはハウスを退去して、Bさんの故郷(某県)の実家に引っ越すことにした。

コロナウイルスの感染拡大、緊急事態宣言から、わずか1ヶ月にして、2人の人生には大きな影響が出た。そして結果的にハウスもダメージを受けた。急な退去であり、その後に入る住民が決まらなかったのだ。ルームシェア形態である以上、家賃不足になることは、ほかの住民負担が増える、またはストックしてある共同のお金を取り崩して埋める必要を意味する。

もちろん、この事態で一番大変なのはAくんとBさんだ。住民たちは、友人である2人に対して、その困難に寄り添い、可能な範囲での支援をしていた。
困難が起きたときこそ、人と人の関係の本質は、否が応でもはっきりしてくる。
今回のコロナウイルスで、少なくともそのハウスに暮らす人たちの間に築かれた関係が、互助的なものだということがわかったということは、多数ある困難のなかでは、希望の花のようにも見えた。

続き。
聞いたところによると、ハウスの空いた部屋の後継住民が決まったようである。その新しい住民を、Cくんと呼ぼう。
Cくんは元々このハウスの住民だった。1つの夢だった海外生活を実現するために、ハウスを数ヶ月前に退去していた。彼の海外生活も、残念なことにコロナウイルスの流行の直撃を受けた。彼が海外で通っていた語学学校は授業がなくなり、Cくんもやることがなくなってしまい、少し前に帰国していた。
元々AくんとBさんとも入居時期は重なっており、よき友人であった。
今回、二人の退去を聞き、いろいろと考えた結果、予定外ではあったものの、再入居を決めたようである。ひとまずは、ハウスの危機は逃れられたようだ。



シェアハウス、ルームシェア、いずれにしても、オーナー自身が運営するハウスでない場合は、運営者または住民が月額の総家賃をオーナーに支払い続ける必要がある。それができなくなったときは、そのハウスが終わるときである。

ずっと続くことが必ずしも良いことというわけではない。これはいろいろなことに当てはまるだろう。会社や事業、店舗、団体、あるいは家族。終わるべきときに、きちんと終わることが、関わる人達にとって望ましい結果を生むものだ。

実際コロナウイルスのもたらした衝撃を受けて。様々な人が、事業を閉じたり、都心住まいをやめにしたり、ほかにもいろいろなものを終わる決断をしたことだろう。
 
何かが終わりになる、終わりにすべき時は、どういうときか。誰がそれを決めるのか。なぜそうするか。
そうした問いに、向き合うこと。ぼくにとっては、それを感じるひとつの出来事が、今回の「望まざる退去と、予定外の入居」だった。

2019年12月24日火曜日

「受け入れやすい提案と導入」を学ぶ

この記事は「シェアハウスのアレコレ アドベントカレンダー2019」の24日目です。
https://adventar.org/calendars/4341



今年の8月から、都内のとあるシェアハウス(*1)に住んでいる。
ぼくにとっては3年ぶりのシェアハウス住まい。2016年当時、「ギークハウス新丸子」に半年だけ住んでいた。そのあとは実家に戻った。
それから3年の月日が流れ、またちょっとシェアぐらしをしてみようと思った。

そして今4ヶ月が経とうとする今、気づいたことをまとめておきたい。

[1] 私物を共用空間に積極的に提供することで面白くなる
[2] テクノロジーの適切な導入はQOLを上げる
[3] 肝要なことは「受け入れやすい提案と導入」プロセス

以下に説明していきたい。

[1] 私物を共用空間に積極的に提供することで面白くなる

いまは個室に住んでいる。6畳。シングルベッドがある以外に大した家具はない。なので学習机を置けると思って、折りたたみ机を実家から持ってきた。
だが、あえて共用スペース、というか玄関はいってすぐのところに置いてみた。もちろんほかの住民たちに確認はとってから。



結果的に、ぼく以外にもたまに作業机として使う住民が出てきた。それを見て思ったのは、「自分のものを自分だけが使うよりも、共用にしたほうが面白いものもある」ということ。
PC、スマホみたいに「個人のデータと不可分な道具」は、セキュリティ、破損や紛失のリスクも考えるとシェアは難しいが、それ以外の「環境に設置される道具」は、どんどんシェアしてみていいのかもしれない。もしやっぱり違ったな、嫌だな、と思ったら自分の部屋/エリアに戻せばいいのだ。

[2] テクノロジーの適切な導入はQOLを上げる

もともとぼくが入居した時点では、玄関の鍵は住民1人に1本ずつ渡される形だった。
しかしあるとき、ぼくが帰宅したら鍵が開きっぱなしになっていた。
ここで選択肢が2つ出た。1つは、環境をそのままにして、ほかの住民に呼びかけをすること「ちゃんと出かけるときには鍵を掛けてください」と。
しかし、これはあまりイケてる選択肢とは思えなかった。慌てていたりすれば人は忘れてしまうもの。それは別に自分だって同じこと。人間が起こしてしまう可能性があるエラーに対して「エラーをなくせ」というのは、知恵の放棄であるし、愛がない。
そこで思いついたもう1つの選択肢は環境を変えて、鍵の掛け忘れをなくすこと。すなわち「スマートロックの導入をしよう」とほかの住民に提案すること。もちろんぼくはこちらを選んだ。
いくつかのスマートロックを比較した。Akerun、Qrio、などなど。価格や、アプリの利便性などを総合的に判断して、Sesame (*2)が一番良いと思ったので「Sesameは何が便利か、どんな問題が解決できるか」をわかりやすく他の住民たちに伝えて提案した。本当は対面で提案したほうが良いとは思ったのだが、うちの住民たちはあまり活動時間帯が揃っていないので、住民間のFacebookメッセンジャースレッドで行った。
「鍵が開きっぱなしになっていることの問題」と「スマートロック導入の金銭的コストならび学習コスト」を秤にかけて、皆スマートロック導入に賛成してくれた(というか正確には特に反対意見が出なかった)ので、導入。ちなみに、金銭的コストは本体が9,800円(キャンペーン価格)でWi-Fiモジュールが4,700円だったので合計14,500円也。これは共益費から出した。

実際にスマートロックの設置後は、ぼくが率先して、ほかの住民に使い方を丁寧に説明した。そうやって、この新しいテクノロジーを「使いやすいもの」と最初に感じてもらうことが大切だと思ったからだ。

そして、導入がなされ、少しずつ住民に浸透していくと、鍵まわりの状況は、以前に比べて劇的に便利になった。オートロックが設定できるので、鍵の掛け忘れは二度と起こらない。そして、ゲスト用の一時的なキーもアプリで発行できるため、住民の友人や家族が泊まりに来るときにも、鍵の受け渡しなどをする必要がなくなった。
結果的に、あきらかにQOL(クオリティ・オブ・ライフ)が上がったと言える。

「鍵の掛け忘れ」という事態を、テクノロジーとサービスの力で圧倒的な利便性獲得の機会に変えることができた経験は、実にたのしかった。

取り付けたSesame

[3] 肝要なことは「受け入れやすい提案と導入」プロセス

ほかにも、小さなことだけど、風呂のマットを普通の線維製のものから、珪藻土バスマット (*3)に変えようと提案して、実現したりした。
そうしたことを通じて学んだのは、共用空間に関わることに変化を持ち込む場合には重要なのは「受け入れやすい提案と導入」プロセスだということだ。
ぼく自身はテクノロジー大好きだし、生産性はとことん上げようぜ派で、そうしたテック導入が遅い組織にはかなり批判的である(なんならそういうところでは絶対に働かない)。しかし一方で自分自身が怠惰な自覚がある。なにより行動経済学者D.カーネマン(*4)の示した「人は合理で動くわけでなく感情で動く」真実と、認知科学者D.A.ノーマン(*5)の唱える「間違いが起こるなら悪いのは人ではなくデザインである」思想を愛している。ゆえに、自分だけで完結することでなく、社会(シェアハウスも小さな社会だ)に関わる変化には、ケースにもよるが「受け入れやすい提案と導入」が大事だと思っている。というか、この4ヶ月のシェアぐらしを通じてそれを実感したのだ。

もちろん、すべての人が提案を前向きに考えてくれるわけではない。
社会のあちこちでは、なんらかの悪い事態を良くするために様々な提案や交渉をおこなっている人々がたくさんいる。だが、おそらくはその提案者の側の問題ではなく、提案を受ける側の思考があまりに旧態然、固着していて変化を拒絶し続ける事例もたくさんあるだろう。そこに生じる膨大なエネルギーや金銭の無駄と、事態改善のための提案者たちの心的消耗を思うと悲しい。
それでも、提案者の行動がなくては、社会の変化を起きない。

その提案と導入のプロセスを、たとえば職務としていきなり困難な現場で行うことになると、あまりに辛いだろうなとぼくは思ってしまう。そう思った時に、たとえばシェアハウスのような小さく、また自由に選ぶことができる社会の中で、体験的に実施して、小さな失敗と成功体験を得ることは、それなりの意味があるのではと思うのだ。


*1 正確にはルームシェア扱いになるはずだが、便宜上シェアハウスと呼称する。なおルームシェアなので、明確な管理人は存在していないので、あらゆる意思決定は住民同士での合意に基づく。

*2 Sesameはこちら。鍵の形によって合う合わないがあるので、導入してみたい方もよく家の鍵の形状を確認してほしい。
https://amzn.to/2SokqFY

*3 珪藻土バスマットはこんなもの。興味あったらトライしてみてほしい。もうバスマットを洗濯することは二度となくなるのだ!
https://amzn.to/35WSVXG


*4 カーネマンの著書。行動経済学に関してその経緯から研究の状況までを第一人者の語りとして知ることができる珠玉の一冊(上下巻)。未読の方は一度読んで欲しい。
https://amzn.to/2ENQpqT
 

*5 ノーマンの著書。認知科学者であるノーマンが、研究を通じて明らかにしていったデザインの"前提となる観点"とでも言うべきものを知ることができる。ぜひ読んでほしい。
https://amzn.to/39a0EE3

2017年12月1日金曜日

ソフトウェアに関わる日本人に深圳行きをオススメする理由

この記事は ジーズアカデミー Advent Calendar 2017 の1日目です。

2017年11月中旬、中国の深圳で開催されたMaker Faire ShenZhen 2017に Morning Project Samurai というチームの一員として出展してきた。
その中で感じた伝えたいこと。

「日本に生きるすべての、ソフトウェアに関わる人には一度、深圳を訪れてもらいたい」

理由を以下に述べる。

まず深圳の「人類最速」と称される都市の発展ぶりについては、高須正和さんの書かれたこの記事を読んでもらうのが一番良いと思う。

人類史上最速で成長する都市「深セン」で何が起きているのか

要するに「若者が多数を占める」「ハードウェアの世界最大の製造拠点」という性格を持つ街だと理解していただきたい。
それは何を意味するか。
ハードウェア・ドリブンで人々の仕事も生活も、劇的な速度での変化を続けているということだ。

ここでいうハードウェアというのは、単体のデバイスという意味ではない。「あらゆるものがネットワークにつながって機能を果たすデバイスを基軸とした情報プラットフォーム」ということでご理解いただきたい。
見えるデバイスとして、わかりやすく筆頭に来るのはスマートフォンであるが、もちろんそれだけではない。
自動販売機、無人コンビニ、シェアサイクル。
まもなく自動運転の実用化も進んでいくだろう。
「見えるデバイス、所有するデバイス」だけでなく、「設置されているデバイス、見えないデバイス、借りるデバイス」の持つ、提供する、集める情報の活用こそが、ハードウェアによる革命の真骨頂だ。

ソフトウェアがそれ単体で社会の変革を興す時代はすでに終焉した。いまはハードウェアを日常に取り込み、その中でソフトウェアが機能することで、人々の生活が成り立ち、課題を解決する時代なのだ。

このような状況で、ソフトウェアだけを理解して作っていればいいというのは現実的でない。というよりも、自分のやりたいことのイメージを理解して、生き方に落とし込んでいくプロセスにおいて、ハードウェアを知っていることが不可避になっているというほうが正しいだろう。
ただし、それは、Raspberry Piを使って電子工作できる能力が必要とか、それだけを意味するのではないと思っている。
そういったツールキットを知り、それがハードウェア生態系のなかではどういう位置づけにあり、どんな使いみちがあるのかというのを「実感知」でもつことが重要と考える。

たとえばスマホ。ネットワークに繋がったもっとも代表的なデバイスであり、常に外に持ち出され、そのユーザの身体の一部のように使われることも日常茶飯事だ。そうなってくると、そこのうえでの課題解決を考えるうえでは、スマホが「持ち出されるハードウェア」だということへの適切な認識と、関連しての開発知識が必須になる。

圧倒的なスマホの普及が、むしろ世の中のハードウェアが生み出す価値の重視を劇的に早めたと言うべきなのだろう。そしてその多種、大量のスマホを生み出すエコシステムがある街。それが、深圳なのだ。

秋葉原の30倍といわれる広さを持つ電子街「華強北」

むろん、すべての人がエンジニアを目指さないといけないわけでもないし、すべてのソフトウェアエンジニアが「ハードウェアをつかったソリューションを編み出す力」を持っていなくていい。

ただしこれからのテクノロジーがつくっていく未来を予測して行動する見取り図となるような原体験が必要ではある。それはきっと、未来を良いようにつくっていきたいと感じるすべてのひとにとって。

であるならば、その社会における生活スタイルの爆速の変化を生で感じ、認識を多大に「再プログラミング」することが、マイルストーンとなる。それに適した場所は、中国、深圳。

深圳は成田空港からの直行便もあるし、香港経由で安く済ませることもできる。
Google FlightsやSkyscanner などで安い航空券を取ってしまえばOKだ。

どうせ時間がすぎるのを待っていても、深圳は、中国は、ぼくら日本を構うこと無く劇的に変容し続ける。
そうだとするなら、早くこの波に乗っかってしまうことこそがよい。
のちの学習に投じる時間やお金、なによりそれを捻出しようとする人間の精神力を消耗させるよりも、いまするりと深圳を訪れて、感じる衝撃をしっかりと心の中にきざみこんだらいい。

そんなふうに思うのだ。

Maker Faire ShenZhenでの私達の展示の様子

以下は参考まで。

高須さんの書かれた深圳のものづくり事情に関する書籍。

メイカーズのエコシステム 新しいモノづくりがとまらない。

日本人として深圳で工場を立ち上げて日中の間でものづくりの架け橋をされている藤岡淳一さんの書籍もおすすめしたい。

「ハードウェアのシリコンバレー深セン」に学ぶ−これからの製造のトレンドとエコシステム

中国の決済事情の劇的な進展に関するレポートとしては「未来を変えるプロジェクト」の記事も大変おすすめだ。

中国のあまりの変化に、驚きを隠せない〜世界が注目する中国の決済革命〜

2016年12月14日水曜日

ギークハウス良いとこ一度はおいで

この記事はギークハウス Advent Calendar 2016 の14日目の記事です。


私がギークハウスに住んでいた期間は、今年2016年の5月から9月までの5ヶ月間だ。
住んでいたのは、ギークハウス新丸子。通称ギー丸子。多摩川のすぐ近く、川崎市にある。

では、どうしてギークハウスに住もうと思ったのか。

もともと都内の実家で暮らしていたのだが、なぜかふと「ああ家を出よう」と思ったのだった。
そして、賃貸情報のウェブサイトを各種回って、色々検索したのだが、そこではたと気づいたのは、良い条件の賃貸物件は高いということ。
低価格で住めるところといえば、職場にもかなり遠くなり、そうなると実家を出ることで「費用もかかる」「会社も遠くなる」という話になる。
一方で、心底、一人暮らしがしたいと思ったわけでもないのだった。
単純に、家を出つつ、お金がそこまでかからない暮らし方はないものかと思ったのだった。

そこでググった結果、はじめて「シェアハウス」という存在を知る。
共用スペースがあることによって、相対的に家賃が下がる。
しかも、他の住人と交流ができる。

なんだ、こんなウマイ話があっていいのかと(笑)思って、そこからはネットの海をシェアハウスに絞って探していった。

色々シェアハウス情報を調べたところで「コンセプト・シェアハウス」という存在があることも知った。
住人、およびその家じたいにコンセプトがあって、その価値観に賛同する人たちが一緒に住む家。
なんと!おもしろそうだなと感じた。

ということで、次にはコンセプト・シェアハウスに絞って、ググっていろんなシェアハウス情報掲載サービスを眺めていった。

そのなかの1つに、ギークハウス(どこのギークハウスかは忘れてしまったが)を見つけて、ネットで育った人間としては心惹かれる何かを感じて、もう少し深く調べてみようと思ったのだった。

そしてこの
http://geekhouse.tumblr.com/
ギークハウスプロジェクトのTumblrを見て、空き情報を調べて、オーナー/管理人にコンタクトをとって内覧に行き、住むところを決めたのだった。

空きがあったギークハウスは東京近郊に何箇所かあったが、新丸子にした理由は、内覧に行ったらびっくりするくらい広かったからだ。
今は退去したので価格が一緒か分からないが、私が住むときは共益費込みで月45,000円。リーズナブル。
狭い家に住むのは辛いなあと思ったので、この値段でこの広い家に住めるのならありがたいなと思って入居を決めた。

以来5ヶ月間、いくつかのイベントも自分で主催したり参加したりを楽しみつつ、ギー丸子住民として平和に暮らした。
住む前は想像しなかった、ギークハウス生活の楽しみとして、2つを挙げたい。



1.料理

私はまるで料理スキルがないのだが、それはひとえに経験してこなかったためである。
ギークハウスに住むと、調理用具や調味料も色々そろっているし、イベントもちょくちょくあるので、なんとなく何か料理を作る機会が生まれる。
下手なりにも、クックパッドでレシピを調べ、住民やイベントのときのお客さんたちとわいわい料理を作って食べるのは、ことのほか楽しかった。

2. 雑談

ギークハウスの住民は、ネット界隈が好きな人が多い。したがって自分と興味関心の方向はリンクしている。一方でプログラマやマーケター、ニートなどなど仕事は多様だし、語学に強いとか映画に詳しいとか、みんな様々な得意ジャンルがあったりする。なので、価値観は近いが、知識体系にはバラつきがあって、これによって雑談していると色々と刺激を受けることが多かった。

住む前は、雑談を楽しむためのよく仕組みが内包されているとは、まるで思わなかった。
すばらしい雑談タイムだったなと、今思う。



以上が、私がギークハウスに住んだ経緯である。

なぜ退去したかについてだが、単純に、ギー丸子から会社に行くのが遠くて、最初は気にならなかったのだがなぜかだんだん面倒になってきてしまったという、とてつもない私の面倒くさがりぶりが理由である(笑)。

そもそもなんで遠いのに新丸子を選んだのかというと、もうそれは選ぶときにはそんなに深く地理的・交通のことは考えなかったから。勢いである。

でも直感でギークハウスに住んだからこそ、住民やゲストのみんなと交流したり、ほかのギークハウスに遊びに行く機会ができて色んな人と知り合うきっかけができた。

無計画なことは確かだったのだが、今思うと、ギークハウスに住もうと決めた数ヶ月前の自分の決断はとても良かった。

家を買うときは慎重に、というが、シェアハウスに住むときには、勢いと直感を信じてよいのかもしれない。合わなければ、出ればいいだけなので。

ギークハウス・アドベントカレンダー、明日は Mikami Kohei さんです。

2016年12月7日水曜日

深センのメイカーフェアに勢いで出展してきました。

2016年10月20日から25日にかけて中国に渡り、深センで開かれた"モノづくり愛好家の祭典" メイカーフェア(Maker Faire Shenzhen 2016)に出展してきました!

開発・出展したプロダクト名は「寝落ちSolver」といいます。
寝落ちを検出してすべての家電を自動でOFFにしてくれて、朝になったら手を叩くだけで家電がONにできる、快眠を支える便利なソフト制御装置です。

様子を動画に撮ってみました!






見ていただければわかりますが、とてもアットホームというか、手作り感満載というかそんな展示でした。
しかし、お客さんはたくさんブースを覗いてくれて、けっこうな割合で入ってくれて、私たちのプロダクトを体験したり質問したりしてくれました。

まったく初めての出展で、とくにハードウェアのスペシャリストが誰もいない(ほぼ全員ソフトウェアをつくった経験しかないチーム)のにもかかわらず、ちゃんと「受けた」ことは大いなる自信になりました。

そして、ぜひ多くの日本の方にも、Maker Faireへの出展に挑戦してもらえたらなと感じました。
とりあえず、出展エントリをしてしまうところから始める、「応募ドリブン開発」でも、なんとかなるかもしれません(私たちはそうでした)。

私が通っていたジーズアカデミーは、ソフトウェア開発スキルを学ぶ人が中心ですが、自分でハードウェアとの連携を学んでおられる方も結構多いように感じています。やる気があって、興味が近いメンバーでチームが組めれば、きっとやりたいことができるのかなと思います。
Maker Faire応募は、とてもよい機会として活用できるように思います!


↑一緒に出展したMPSのチームメンバーと。


↑ジーズアカデミーのメンターのびすけさん(ドットスタジオ 代表取締役)と再会!


↑ジーズアカデミー開校直前の際のアイデアソン審査員をされていた、池澤あやかさんにもお会いしました。

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★参考リンク

Maker Faire Shenzhen(深圳)に初出展する最初の一歩の踏み出し方
→同じチームのWataru Katoさんの記事です。

Maker Faire Shenzhenに行ってきました
→現地でお会いしたスイッチサイエンスさんの記事です。

2015年12月19日土曜日

ジーズアカデミーにおける行事、コミュニティへの感謝。

ジーズアカデミーは0からエンジニアを養成する学校である。
初心者であろうとも、プログラミングに向き合い、苦労して課題をこなしながら、少しずつソフトウェア開発の方法を習得していく。

僕も1期生として今年4月に入学した。
プログラミングはほぼ初心者レベルから、なんとか半年の受講期間を終えて、10月末の卒業までたどり着いた。

しかし、本当に通学してプログラミングは学ぶものなのだろうか?

今日では実に多くの「プログラミング学習」ができる、オンラインの独習用Webサービスや、チャットで講師が指導してくれるサービスが存在する。
そっちの方が安いし(タダのサービスもいっぱいある)、通学時間もいらないし、いいことづくめではないかと思われる方もいるかもしれない。

だがオンラインで完結する教育サービスでは決して提供できないものがある。
それは「学校行事」である。

学校行事。僕のような30代にとっては、もはやなんと懐かしい言葉か。
入学式に始まり、運動会、授業参観、遠足、いろいろあって最後に卒業式がある。

学校であるジーズアカデミー、さまざまな行事があるのだ。
事務局で開催してくれる公式行事は。
入学試験、入学式、特別授業、補習、いろいろなハッカソン、そしてグローバル・ギーク・オーディション、卒業式。
…などなど。

また、受講生が自主的に企画するイベントも数々ある。
コワーキングスペースを借りての補習会や、課題進捗報告会。
そして、G’s Partyという受講生のみならず、事務局の方や先生方、協力企業の方々と懇親するパーティも半年の間で2回実施した。

この行事というのが、人と人をつなぐ何よりの機会である。

プログラミング学習自体は、結局孤独に向き合うしかない。
全く理解不能な状況で、転んで立ってまた学ぶしかない。子供が自転車の乗り方を覚えるかのごとくに。

だが、それはすべて1人で背負い込まないとダメ、という意味ではない。むしろ全く逆で、そんな意識でいたらほとんどの人は挫折してしまうだろう。
僕も、プログラミングが難しくて何度放り投げようと思ったことか。

でもなぜ諦めなかったかというと、それは人のつながり、コミュニティの力のおかげだった。
そして、そのつながりはどこで生まれたのかというと、僕の結論は、「行事」なのである。
行事で交わす言葉や、非言語のコミュニケーション、そしてそこに作りだされる共感が、コミュニティの本質を形成する。

行事は、必ず運営の人たちが、準備をして、参加者に対して何らかの体験をする場を設けてくれるものだ。
それは仕事かもしれないし、ボランティアかもしれない。
だがいずれにせよ、人に対するもてなしの精神の発露であり、参加するからには、そこに対して感謝の気持ちを持っていたいなと思う。

...そんなわけで何が言いたいかというと。

昨日、12/19(土)はジーズアカデミーの大忘年会が開かれた。
1〜3期生、そして講師、チューター、メンター、事務局の方、皆が参加して大いに盛り上がった。

集合写真はこちら↓。




















酒を飲み、苦労と夢を語りあう。
この繋がりは、オンラインでは得るのはなかなか難しいだろう。

コミュニティを支えてくれる方々へ。心からの感謝を。


2015年10月14日水曜日

ぼくはエンジニアになれない。ならない。

まもなく、10月末日をもって、ぼくが通っているエンジニア養成学校「ジーズアカデミー」の1期が終わる。

7ヶ月前、僕は漠然としたエンジニアへの憧れとそうではない自分へのもやもやした感情を抱いて、入学試験を受けて、ジーズアカデミーの門をくぐった。

そこからの半年がまもなく終わろうとして今思うこと。

僕はエンジニアにはなれない、し、ならない。

ただしこれは、夢が破れたという辛い結末ではない。
むしろまったく逆で、自分のできること、やりたいこと、市場に求められること、の3つの要素の交わる位置を考えたときに、私のそこは「ソフトウェアエンジニア」ではなかったということに体験を経た上で、ようやく納得したということ。

だから前向きというとおかしいかもしれないけれど、これでよかったと思っている。

ジーズアカデミーの同期でKさんという方がいる。
Kさんは30代後半までまったくプログラミングと関係ない人生を歩んできたが、職業訓練校にたまたま通うところを発端に、さまざまなプログラムを自分で組み、今年ジーズに入学。
そして50名の同期の中でも、トップクラスに尖った作品(プログラム)を発表し続けた人だ。

いまでは、ソフトウェアエンジニアとしてフルタイムで働いている。

Kさんを見ていて僕が思ったのは、技術の習得への熱意、ものづくりへの情熱というのが、エンジニアにとって本当に大事だということだ。

僕はKさんと時々話していて、情熱の注ぐポイントが本当に違うなと思った。
しかしだからこそ、世の中はうまく回り、様々なサービスやプロダクト、研究成果が生まれ、組織や共同体が成立しているのだろうと感じたのである。

同じエンジニア能力を身につけようという学校の中でもここまで見ているものが違うというのは、僕にとって納得のいくことだった。

Kさん以外にも、ほぼエンジニアとしての経験がないところから次々とエンジニアとしての転職を決めていく仲間たちを見ていて本当に素晴らしいなと思った。
何より彼らは皆、人間的に尊敬できるし、一緒にいて楽しくて。

僕はエンジニア能力を開花させていく彼らと、ちっとも技術が身につかないで、ハードルの前で倒れてばかりいる自分を対比しつつも、別にそういう自分が、そんなにイヤでもなかった。

僕は4年間ゲーム会社にいて事務職を務め、2年間ソフトウェア会社で営業をしていたが、その間、自分が「つくる」ことはなかった。
つくれなかった。

だからエンジニアに対して尊敬していたが、それは種もしかけもない箱から奇跡を取り出すような感じで捉えていたフシがあると気づいた。

それは、違っていたのだ。
自分で、苦労してコードを学んで書いてみて、他の人のコードを見せてもらって思ったのは、すべて、種としかけがあるのだ。
けれど、種としかけを使いこなすには、そこに熱中し、熟達するプロセスが必要なのだ。

天才という言葉は事実誤認を生みそうなので気をつけないとなのだけど、ひとつ思うのはソフトウェアエンジニアは天才である必要はない、というかもし本当に天才だと、いいエンジニアではないかもしれない。

苦労をしながら技術習得して、そして他のエンジニアやそうでない人との交流から、自らの領域を広げたり、深めたりできるのが、いいエンジニアなのでないか。

話を戻すと。
僕は、エンジニアにはなれないし、ならない。
じゃあ何をするんだ、できるんだというとよく分からない。

だけど。少しだけれどエンジニアの道を、自分で歩いてみたことは、かけがえがないと思っている。

故・岩田聡さんの言葉を、最後に貼りたい。

岩田さんはエンジニアから、経営者という二足の草鞋を履くようになり、そして42歳にして任天堂社長を引き受けた。
僕がもっとも尊敬する人である。

自分にとってのこれからの進み方の指標として、この「労力のわりに周りが認めてくれること」を見つけ、それを楽しめるように、日々やっていけたらと思っている。


好きじゃないけど得意なこともありますし,好きだけど,実はあんまり得意じゃないよっていうことも結構あって。だから,仕事というのは「得意なこと」をやった方がいいんです。好きだけど得意じゃないことに溺れると,仕事っておかしくなることが多いんです。
(中略)
自分の労力の割に周りの人がすごくありがたがってくれたり,喜んでくれたりすることってあるじゃないですか。要するにね,「それがその人の得意な仕事なんだ」って話で。逆に,自分的にはすごい努力して,達成感もたっぷりあるのに,周りからは「はあ?」みたいに思われることもあって。それはね,本人が好きだったとしても,実は不得意なことかもしれないんですよ。
(中略)
この話はですね,私は毎年,会社説明会で学生さんにお話しているんです。よく「自分の強みを見つけろ!」みたいな話を学校で言われると思うんですけど,普通は,学生時代に「何が自分の強みなのか」なんて,なかなか簡単には分かんないわけじゃないですか。
(中略)
だから,「“労力の割に周りが認めてくれること”が,きっとあなたに向いてること。それが“自分の強み”を見つける分かりやすい方法だよ!」って,いつも学生さんに喋ってるんですね。「さっさと得意なことが分かった方が,人生はいいぞ!」って話なんですが(笑)


任天堂・岩田氏をゲストに送る「ゲーマーはもっと経営者を目指すべき!」最終回――経営とは「コトとヒト」の両方について考える「最適化ゲーム」
http://www.4gamer.net/games/999/G999905/20141226033/index_3.html